9条の会 澤地久枝
■「憲法9条の会うべ」主催の澤地久枝講演会「いのちの重さ」は文化会館満員で終わりました。
時間にして1時間以上だったのに、それこそあっという間。やや早口で間断なくシャベルのに、聞いていても疲れず引き込まれてしまいました。
話の内容としては次の通りです。帰りに本を買ってサインをしてもらいました。握手までしてもらいました。
■始めに、山口県と自分の関わり 14歳の時、満州で終戦を迎え防府市でしばらく暮らし、女学校に通っていたこと。当時は食べるものがなく、ひもじい様子を丁寧に語られました。
次に語られたのが、ミッドウェー海戦の戦死者の話。3419人の死者のことを20年前に調べたこと。 熱海におられた遺族の両親は、南の風が吹くと海岸に出て、ビンが流れてこないか待っていたという話。
アリューシャン列島のアッツ島では、3000人の日本兵が補給を受けられずに見殺しにされた。日本軍は捕虜にならずに死を選ぶ。ジュネーブ条約(捕虜の取り扱いを決めた。)を批准しなかった日本がとるべき道として、死ぬまで戦う教育を受けたこと。
アッツ島は永久凍土の島で、戦後日本が遺体の回収に行ったときにまだ、腐らずに遺体がそのままの形で掘り出されたといいます。
ミッドウェー海戦で戦死したアメリカ兵の話
■ミッドウェー海戦でなくなった米兵の中に、妻のおなかに我が子がいて、我が子を見ずになくなってしまった父。その父は遺体が帰ってこないまま。
その子はベトナム戦争で戦死して、この子もまた、遺体が帰ってこない。
日本では、悲劇は第2次対戦でとぎれているけれど、アメリカでは未だに悲劇が続いている。 憲法9条があったからこそ、悲劇は終わったということ。
日本国憲法によって女性は人間扱いされるようになったのに
■小泉内閣が誕生し、アメリカ言いなりにイラクに軍隊が派遣された。
小泉内閣に女性閣僚が就任しているが、小泉内閣は憲法を変えようとしていた。
日本国憲法は、それまで人間扱いされてこなかった女性を解き放ち、人権が認められたのに、それを否定するお先棒を担がされている。
それを継承した安倍内閣は「5年で憲法を変える。」と言っている。自民党は政権を取っているが、国民の大多数の支持ではない。小選挙区制によってもたらされたもの。
爆笑問題 太田光 憲法を世界遺産に
■爆笑問題の太田光は、「憲法を世界遺産に」と言う本を出している。テレビの番組の中で「憲法を読んで感動した」と言ったら自民党国会議員に罵倒されたが、太田光はアメリカ先住民族が憲法のような決まり事をもっていたことなど、勉強していて勇気を出して語った。
わたしの息子はなぜイラクで死んでしまったのですか
■イラクで息子を戦死させてしまった母親が、「わたしの息子はなぜイラクで死んでしまったのですか」というプラカードをかかげ、ブッシュ大統領の別荘前で26日間座り込みをして、それを取り上げた新聞社が広告を引き揚げられたが、アメリカ中から購読の申し込みがあった。 この母親がワシントンに向けて行進を始め10万人の行進団となったこと。
オンリーワン9条の会
■9条は国民のための教育や福祉、など様々な運動の扇の要に位置しているもの。全国5000の会が生まれている。最初は一人から、勇気を出して広げていこう。
希望を持ち続けて、にこにこして、さわやかにがんばりましょう。
そのためにも生き延びて、政権を持っているものから嫌がられるように
■宇部には9条の会が誕生しました。小野田にも小さな9条の会があります。わたしもこのブログから呼びかけます。「山楽日記と下界通信9条の会」を立ち上げます。
「わたしも入る。」とメールで、あるいはわたしを見かけたときに小さな声で「わたしも入れてください。」これであなたも立派な「9条の会」会員です。 はじめは小さな一歩から
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